猫の遠吠え(2nd)

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zoom RSS 「「私は戦争賛美者なのか?」について」について

<<   作成日時 : 2006/05/25 12:18   >>

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「私は戦争賛美者なのか?」について」について
罵愚氏から
「「私は戦争賛美者なのか?」について」
というトラックバックを戴いた。

似非コミュニスト達が唱える非現実的な平和主義が、如何に他人任せで無責任かということに、人々が気が付き始めたということと思う。

普通の生活を送っていれば青年になるまでの間に、抵抗する術を持たないものが、どのような扱いを受けていたかに気が付くはずだ。

そう、いじめだ。

もし気が付かなかったとしたら、それは他人の考えを理解しようとする感性が欠けているか、自分に被害が及ばないように無視していたことを正当化した卑怯者か、自分が対象になっていたことを全て他責であるとして暗い方向にのみ思考を巡らせたルサンチマンだと思われる。

いじめの事実に気が付き、限度を超えた行為に怒りを覚えたとして、いじめを止めさせる方法について考えると、大体このような方法が挙げられると思う。


・第三者がいじめをする側を制する(1)
 これにはいじめをする側と同等以上の力を持っている者で無ければならない。
 しかし、制する者の力が、いじめをする側にとって、唾棄すべき存在であった場合、陰湿化しさらに酷い状態になる。

・第三者がいじめをする側を制する(2)
 ある程度力を持っているものが、制するために行動を起こす。しかし、「どんなときでも暴力はいけない」「喧嘩両成敗」という理不尽な判断をされたり、最悪の場合、いじめをする側が口裏を合わせ「何もしていないのに一方的に殴られた」などと証言されて、社会から抹殺されることにもなりかねない。

・第三者がいじめを受ける側と同盟する
 その第三者が被害者に加わるだけで、何の意味もない。偽善以外の何者でもない。

・いじめに対して抵抗する
 実際には初期の段階でなければ効果は無い。

・他の生贄を用意する
 最も下劣な行為。しかも、自分がいじめの対象から確実に外れたわけではない。

・いじめる側の考えを改めさせる
 即効性がない。全く違う価値観を持つものには無意味な行為。また、いじめをする側にとって尊敬に値する者が行わなければ、全く期待出来ない。

国際社会と全く同じだ。

私の考えは飛躍しすぎだろうか?

しかし、身近なことの分析も出来ずに、世界規模の分析など出来るだろうかと思うのだが。

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